作品情報
| タイトル | 静電気と、未夜子の無意識。 |
|---|---|
| 著者 | 木爾チレン(きな・ちれん) |
| 出版社 | 幻冬舎 |
| 発行年 | 2012年8月(単行本) 2025年9月11日(文庫版) |
| ページ数 | 単行本:264ページ 文庫版:188ページ |
| 判型 | 単行本:四六判 文庫版:幻冬舎文庫 |
| ISBN | 単行本:9784344022317 文庫版:9784344434967 |
| ジャンル | 現代文学・恋愛小説 |
あらすじ
顔が良ければ誰でもあり。時に九人と付き合っていた未夜子は大学構内で風変わりな男の子・亘を見かける。その瞬間、「無意識」は恋に侵された。衝動のまま亘との距離を縮めていくが、彼女にはなれず関係も途切れ……。疼き続ける恋心に惑う未夜子が、終わらない初恋を終わらせるため向かった先は――。「好きの代償」を描く衝撃のデビュー作。
気持ち悪さこそが、この作品の最大の魅力
『静電気と、未夜子の無意識』を読み終えた。率直に言って、めちゃくちゃ面白かった。ただし、この「面白い」という感想には大きな但し書きが付く。それは「気持ち悪い」という感覚と表裏一体だからだ。いや、むしろ「気持ち悪いからこそ面白い」と言った方が正確かもしれない。
女性著者が描く女性主人公の恋愛観は、驚くほどリアルで現実味がある。そこには男性作家が描く「理想化された女性像」も、「都合の良い恋愛観」も存在しない。あるのはただ、脳内を垂れ流したような生々しい描写の数々だ。読んでいて「キモいな」と感じるほど、それは楽しかった。
この作品を読んでいると、自分の中にある恋愛に対する幻想や理想が、音を立てて崩れていくような感覚に襲われる。それは決して心地よいものではない。でも、その不快感こそが、この作品が持つ本物の魅力なのだと思う。
未夜子も、相手の男も、漏れなく気持ち悪い
主人公の未夜子は、間違いなく気持ち悪い。彼女の思考回路、恋愛観、相手への執着の仕方。どれをとっても「普通」からは程遠い。でも、この作品の素晴らしいところは、未夜子だけを異常者として描いていないところだ。
出てくる相手の男性も、例外なく気持ちが悪い。彼らの言動、思考、未夜子への接し方。どれもこれも、客観的に見れば「ちょっとおかしいぞ」と思わせるものばかりだ。
でも、だからこそ面白い。気持ち悪いもの同士の恋愛。それは「類は友を呼ぶ」という言葉を体現しているようでもある。傍から見れば明らかに不釣り合いな二人が、当事者同士では「お似合い」だと感じている。この認識のズレ、温度差こそが、この作品の核心部分だと思う。
ハタから見た二人と、当事者たちの絶対に合わない感じ方
恋愛している当事者と、それを外から観察する第三者。この二つの視点の違いほど、大きなものはないだろう。この作品は、その違いを容赦なく、そして鮮やかに描き出している。
未夜子と相手の男性が織りなす関係性は、客観的に見れば「これは大丈夫なのか?」と心配になるようなものばかりだ。でも当事者たちにとっては、それが全てであり、それが正しいと信じて疑わない。
この描写を読んでいると、人間が恋をしている時というのは、いかに盲目になるのかということを、嫌というほど考えさせられる。相手のこと以外何も見えなくなる。周りの声も聞こえなくなる。考えることをやめてしまう。
良いところばかりが目に入り、悪いところは都合よく解釈してしまう。あるいは、悪いところすら「それも含めて愛おしい」と感じてしまう。そんな恋愛の持つ、ある種の狂気のようなものが、この作品には満ち溢れている。
女性作家が描く女性の内面のリアリティ
この作品を読んで特に印象的だったのは、女性作家が描く女性の内面のリアリティだ。それは男性作家には絶対に書けない領域だと感じた。
未夜子の思考は複雑で、時に矛盾していて、論理的ではない。でもそれこそが、人間の、特に恋愛をしている人間の思考の本質なのだろう。感情が先に立ち、理性はその後から付いてくる。あるいは、理性は感情を正当化するための道具として使われる。
女性作家だからこそ描ける女性の心理。それは「女性はこういうものだ」という固定観念や型にはまったものではなく、もっと生々しく、もっと複雑で、もっと人間臭い。そこには美化も理想化もなく、ただひたすらに「人間」がいる。
未夜子の恋愛に対する執着、相手への依存、自己肯定感の低さと高さの振れ幅。それらは決して「女性らしさ」という枠に収まるものではなく、一人の人間の、歪で、でもだからこそリアルな姿だ。
特異で異質な恋愛物語としての価値
世の中には様々な恋愛物語がある。純愛もあれば、悲恋もある。禁断の恋もあれば、三角関係もある。でもこの『静電気と、未夜子の無意識』は、そのどれとも違う。
この作品が描くのは、もっと異質で、もっと特異な恋愛だ。それは「美しい恋」でもなければ、「切ない恋」でもない。「狂気の恋」とも少し違う。強いて言うなら、「生々しい恋」「リアルすぎる恋」とでも表現すべきものだろうか。
未夜子と相手の男性たちの関係は、決して健全ではない。でもそれを「異常」だと切り捨てることもできない。なぜなら、恋愛というものの本質には、多かれ少なかれ、このような要素が含まれているからだ。
この作品は、普段私たちが目を背けている恋愛の暗部を、容赦なく照らし出す。それは不快かもしれない。気持ち悪いかもしれない。でもだからこそ、本物なのだ。
フィクションとして楽しむなら、最高のエンタメ
ここまで「気持ち悪い」「不快」「生々しい」といった言葉を並べてきたが、誤解してほしくないのは、この作品が決して「読むのが辛い小説」ではないということだ。
むしろ逆で、フィクションとして楽しむなら、これは最高のエンターテインメントだと思う。
未夜子の歪んだ思考回路に付き合いながら、「ああ、こういう考え方する人いるよね」と共感したり、「いやいや、それはおかしいでしょ」とツッコミを入れたり。相手の男性の言動に「うわぁ」と引いたり、「でもちょっと分かるかも」と思ったり。
そういう感情の揺れ動きを楽しめるのが、この作品の魅力だ。安全な距離から、人間の恋愛の狂気を観察できる。自分は巻き込まれることなく、でもその渦中にいるような臨場感を味わえる。
これこそが、フィクションの持つ力だと思う。現実では絶対に関わりたくないような人間関係や恋愛模様を、安全な場所から体験できる。そしてそれを通じて、自分自身の恋愛観や人間観を見つめ直すことができる。
恋する人間の盲目性を描く鏡
この作品を読んで最も考えさせられたのは、恋する人間の盲目性についてだ。
人は恋をすると、本当に周りが見えなくなる。相手のことしか考えられなくなる。客観性を失い、自分の感情だけが全てになる。
未夜子と相手の男性たちの関係を読んでいると、「なんでこんな人に執着するんだろう」「なんでこんな扱いを受けて平気なんだろう」と思う瞬間が何度もある。でもそれは、当事者ではない私たちだから思えることだ。
当事者である未夜子にとっては、それが全てであり、それが正しい。彼女の世界は相手によって満たされていて、他のものは入り込む余地がない。
この描写は、ある意味で私たち読者への鏡でもある。私たちも恋をしている時、あるいは何かに夢中になっている時、未夜子と同じように盲目になっているのではないか。周りからは「おかしい」と思われていることに、気づいていないのではないか。
そんなことを考えさせてくれる作品だ。
まとめ ― 気持ち悪さの中にある普遍性
『静電気と、未夜子の無意識』は、間違いなく万人受けする作品ではない。人によっては「気持ち悪すぎて読めない」と感じるかもしれない。登場人物たちに共感できず、途中で投げ出してしまうかもしれない。
でも、この気持ち悪さの中にこそ、恋愛の、そして人間の本質が詰まっている。
女性作家が描く女性主人公のリアルな恋愛観。脳内を垂れ流したような生々しい描写。気持ち悪い者同士の、歪んだ関係性。そして恋する人間の、圧倒的な盲目性。
これらすべてが組み合わさって、特異で異質な、でもだからこそ普遍的な恋愛物語が生まれている。
フィクションとして楽しめる人には、間違いなく最高のエンターテインメントになる。そして自分の恋愛観を見つめ直したい人、人間の本質について考えたい人にとっても、読む価値のある作品だと思う。
気持ち悪さを乗り越えた先に、きっと何か大切なものが見えてくる。そんな読書体験を求めている人に、強くおすすめしたい一冊だ。






