『その可能性はすでに考えた』基本情報
井上真偽さんの『その可能性はすでに考えた』は、2015年9月に講談社ノベルスから刊行され、2018年2月に講談社文庫化された本格ミステリ小説です。メフィスト賞受賞作『恋と禁忌の述語論理』に続く第2作目で、恩田陸さん、麻耶雄嵩さん、辻真先さんなど多くのミステリ作家から絶賛を受けました。
本作は第16回本格ミステリ大賞候補となり、「2016本格ミステリ・ベスト10」「ミステリが読みたい!2016年版」「このミステリーがすごい!2016年版」「週刊文春ミステリーベスト10」「キノベス!2016」など、各種ミステリランキングを席巻した話題作です。新たな探偵像と斬新な推理バトルスタイルで、ミステリ界に新風を吹き込んだ一作となっています。
あらすじ―奇蹟を証明する探偵の挑戦
物語の舞台は、かつてカルト宗教団体が集団自殺を行った山村です。事件から十数年が経過したある日、唯一の生き残りである渡良瀬莉世という少女が、青髪の探偵・上苙丞(うえおろじょう)のもとを訪れます。
莉世には不可解な記憶がありました。それは、首を斬られた少年・ドウニが、自分を抱えて運んでくれたという記憶です。首無し聖人伝説を彷彿とさせるこの出来事は、果たして奇蹟なのか、それとも何らかのトリックが隠されているのか。
上苙丞は「奇蹟の実在を証明する」という独特な信念を持つ探偵です。事件の真相を解明するため、彼はあらゆる現実的なトリックの可能性を否定し、超自然的な力の存在を追求しようとします。上苙のビジネスパートナーである中国人美女の姚扶琳(ヤオ・フーリン)とともに、前代未聞の推理バトルが幕を開けます。
多重解決バトルの魅力―次々と提示される仮説
本作の最大の特徴は、多重解決ミステリという新しいスタイルです。上苙が「奇蹟」という結論を出すと、それに異を唱える挑戦者たちが次々と現れます。元検事の大門老人、フーリンのかつての仕事仲間リーシー、そして八ツ星という少年探偵まで、それぞれが独自のトリックを提示して上苙の推理に挑みます。
挑戦者たちが提示するトリックは、どれも説得力があり、読者を納得させる内容です。豚を利用したトリック、時間差を使った手法、物理的な可能性の追求など、様々な角度から事件の真相に迫ります。
そして上苙は、それらの仮説に対して「その可能性はすでに考えた」という決め台詞とともに、論理的に反証していくのです。この推理と反証の応酬が、本作を唯一無二の作品にしています。まるで数学の証明問題のように、一つ一つの可能性を潰していく過程は、ミステリの新しい楽しみ方を提示してくれました。
魅力的なキャラクターたち―フーリンが素敵すぎる!
本作で何よりも印象的なのが、上苙のパートナーである姚扶琳(フーリン)というキャラクターです。中国黒社会の元幹部という経歴を持つ彼女は、上苙に億単位のお金を貸している債権者でもあります。
フーリンの魅力は、そのツンデレな性格と軽妙な掛け合いにあります。上苙の金銭感覚のなさに呆れながらも、彼の探偵活動を支え続ける姿は、バディものとしても優秀です。読者の多くが「フーリン推し」になるのも頷ける、強烈な個性を持ったキャラクターです。
また、青髪でオッドアイという容姿端麗な上苙丞も、奇蹟の実在を信じるという変わり種の探偵像で読者を惹きつけます。デビュー作『恋と禁忌の述語論理』にも登場していた二人ですが、本作ではより深くキャラクター性が掘り下げられ、読者の心を掴んで離しません。
続編『聖女の毒杯』への期待と硯さんへの想い
『その可能性はすでに考えた』の続編として、『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』が刊行されています。こちらも「2017本格ミステリ・ベスト10」第1位を獲得するなど、高い評価を受けた作品です。
続編でもフーリンは活躍し、今度は彼女が視点人物となって物語が展開されます。彼女の裏社会時代のボスであるシェンとの対峙、そして上苙との絆の深まりなど、キャラクターの新たな一面が描かれています。
デビュー作『恋と禁忌の述語論理』に登場した硯さんのように、一度きりの登場で終わってしまったキャラクターもいますが、フーリンのように続編でも活躍してくれるキャラクターがいると、読者としては本当に嬉しくなります。井上真偽作品は、こうした魅力的なキャラクターたちが作品の大きな魅力の一つとなっているのです。
論理と感動のラスト―推理小説の新境地
本作は徹頭徹尾、論理的な推理バトルが繰り広げられる作品です。しかし、そこには人間ドラマも丁寧に織り込まれており、最後には感動的な結末が待っています。
奇蹟を証明しようとする上苙の姿勢は、一見すると非科学的で現実離れしているように見えます。しかし彼が追求しているのは、人間の理性と論理の限界を超えた何かへの信仰であり、それは読者の心にも響いてきます。
多重解決という形式を取りながら、真実は一つであるというミステリの根本に立ち返る本作は、論理と感情の両面で読者を満足させてくれる傑作です。推理小説でありながら、人間の尊厳や信念の力について考えさせられる深みがあります。
中国語と漢字の使用について
本作の特徴の一つとして、中国語や難解な漢字が頻繁に登場することがあります。フーリンやリーシーといった中国人キャラクターが多く登場するため、中国語のセリフや表現が作中に散りばめられています。
これは読者によって評価が分かれる要素で、エキゾチックな雰囲気を醸し出していると感じる人もいれば、読みづらさを感じる人もいます。ただし、これらの要素は作品世界の独特な魅力を形成しており、キャラクターの個性を際立たせる効果があることは間違いありません。
章のタイトルにも中国語が使われているなど、作者のこだわりが随所に感じられる作品構成となっています。
まとめ―ミステリの新たな可能性を示した作品
井上真偽さんの『その可能性はすでに考えた』は、多重解決という斬新な手法で、本格ミステリに新しい風を吹き込んだ作品です。「その可能性はすでに考えた」という決め台詞は、読み進めるうちに読者も待ち望むようになる、本作を象徴するフレーズとなっています。
フーリンをはじめとする魅力的なキャラクターたち、論理的でありながら感動的なストーリー展開、そして奇蹟の実在を信じる探偵という独特な設定が、本作を唯一無二のミステリ作品にしています。
各種ミステリランキングを席巻したのも納得の、新感覚本格ミステリです。続編『聖女の毒杯』と合わせて読むことで、さらに作品世界とキャラクターたちの魅力を深く味わうことができます。ミステリ好きなら必読の一作と言えるでしょう。
ぜひ、この熾烈な多重解決バトルを体験してみてください。そして、フーリンの魅力にどっぷりとハマってしまうこと間違いなしです!







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