実写映画化で気になって小説版を手に取った
実写映画が公開されているのを知って、気になって小説版を手に取った『秒速5センチメートル』。新海誠監督のアニメ作品が原作だが、せっかく小説版があるならとこちらを選んでみた。アニメを観る前に、まず文章で物語を味わいたかったのだ。
新海誠作品は『すずめの戸締まり』を小説で読んで映画を観たことがあるが、正直あまり楽しめなかった。ファンタジー要素が強く、自分にはあまり響かなかったのだと思う。しかし今作は違った。深く共感できるシーンの連続で、一人の男性の成長とともに変化していく恋愛の形は、多くの人の心を掴むのではないだろうか。
『秒速5センチメートル』は三部構成になっている。「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」という三つの章が、主人公・遠野貴樹の人生における異なる時期の恋愛を描いている。それぞれの時代で、彼の恋愛観や人生観が少しずつ変化していく様子が丁寧に描かれている。
桜花抄 – 小学生の純粋な初恋
物語の始まりは、小学生の頃の淡い初恋から。転校してしまった篠原明里に会いに行くために、幼い貴樹が遠くまで電車で向かうシーンの描写が素晴らしい。
携帯電話もない時代、連絡のしようがない中で電車が雪のために動かなくなってしまう。約束の時間は午後だったのに、実際に会えたのは深夜。何時間も遅れて、もう明里は帰ってしまったのではないかと不安になりながらも、駅に降り立つ貴樹。そこには、ずっと待っていてくれた明里がいた。
この切なくも愛おしい描写が、読んでいる間に頭の中で鮮やかに映像として浮かび上がってくる。雪の降る夜、寒さに震えながらも待ち続ける少女の姿。ようやく再会できた二人の安堵と喜び。新海誠作品特有の、情景描写の美しさが小説版でも存分に発揮されていて、とても読みやすかった。
小学生という幼い年齢でありながら、二人の間には確かな絆があった。言葉にできない想いを抱えながら、お互いを大切に思う気持ち。その純粋さが、後の物語における切なさをより一層際立たせている。
コスモナウト – すれ違う想い
第二章「コスモナウト」では、視点が変わる。高校生になった貴樹に想いを寄せる澄田花苗の目線で物語が進む。
花苗は貴樹に恋をしているが、彼の心はいつも遠くを見ている。明里との思い出に縛られ、目の前にいる花苗の想いに気づかない、あるいは気づいていても応えられない貴樹。花苗の切ない片想いが描かれる。
この章で描かれるのは、一方通行の恋の苦しさだ。貴樹が明里を想い続けているように、花苗も貴樹を想い続ける。しかし想いは伝わらない。恋愛における「想う側」と「想われる側」のすれ違いが、痛いほどリアルに描かれている。
花苗の視点を通して、貴樹という人間の輪郭がより明確になる。彼は優しいが、どこか遠い。一緒にいても、心はどこか別の場所にある。そんな貴樹に恋をした花苗の気持ちが、読んでいて切なかった。
秒速5センチメートル – 報われない恋の行方
第三章では、大人になった貴樹が描かれる。社会人として働きながらも、彼の心は今も明里への想いに縛られている。
明里は結婚し、新しい人生を歩んでいく。一方、貴樹はその初恋と上手く折り合いをつけられず、新たな恋愛もなかなか上手くいかない。恋人ができても、心のどこかで明里と比較してしまう。恋愛に不器用なのか、それとも初恋が上手くいきすぎて、その記憶に引っ張られ続けているのか。
最後の最後まで報われない人生を送る主人公。踏切で明里とすれ違うシーンは、この物語を象徴する場面だ。一瞬だけ視線が合い、振り返ろうとするが、電車が通過する。そして電車が過ぎ去った時には、もう彼女の姿はない。
この終わり方が、実に良いと思った。ハッピーエンドではない。再会も、やり直しも、救いもない。ただ、それぞれの人生が静かに進んでいくだけ。この淡々とした、しかし深く心に残る結末が、『秒速5センチメートル』という作品を特別なものにしている。
賛否両論の理由 – なぜこの作品は人を選ぶのか
この作品には、共感できる人と嫌悪感を抱く人の両方がいるだろう。世間では終わり方に批判的な意見もあるかもしれない。「主人公が前に進めなさすぎる」「いつまで初恋を引きずっているのか」といった声も聞こえてきそうだ。
でも、それだけ衝撃的で、心を揺さぶる物語だということなのだと思う。報われない恋、前に進めない主人公に対して、「なぜもっと前を向けないのか」と苛立ちを感じる人もいるだろう。特に、恋愛において切り替えが早い人、過去を引きずらないタイプの人には、貴樹の生き方が理解できないかもしれない。
一方で、初恋を引きずり続ける不器用さに、自分自身を重ねて共感する人もいる。私は後者だった。一つの恋愛が人生に与える影響の大きさ、そこから抜け出せない人間の弱さ。それらがリアルに描かれているからこそ、この物語は多くの人の心に深く刺さるのだと思う。
恋愛において、誰もが合理的に生きられるわけではない。頭では「前に進まなければ」と分かっていても、心がついていかないことがある。貴樹はまさにそういう人間だ。彼の不器用さは、決して美化されているわけではない。むしろ、その不器用さがもたらす孤独や虚しさも、しっかりと描かれている。
この物語が賛否両論になるのは、人生における恋愛の位置づけが人によって大きく異なるからだろう。恋愛を人生の一部と捉え、終わった恋は次の恋で上書きできると考える人には、貴樹の生き方は受け入れがたいかもしれない。しかし、たった一つの恋が人生を大きく左右することもある、と考える人には、深く響く物語なのだと思う。
タイトルに込められた意味
「秒速5センチメートル」というタイトルは、桜の花びらが落ちる速度を指している。美しいけれど儚い、一瞬で過ぎ去ってしまうもの。それは貴樹と明里の関係性そのものを表しているようだ。
二人の関係は、桜の花びらのように美しく、そして儚かった。小学生の頃の一夜の再会から、二人の距離は徐々に離れていく。物理的な距離だけでなく、心の距離も。その過程が、ゆっくりと、しかし確実に進んでいく様子が、「秒速5センチメートル」という言葉で表現されている。
おわりに – 読後の余韻
『秒速5センチメートル』は、美しいけれど切ない、報われない恋の物語だ。
ハッピーエンドを求める人には向かないかもしれない。「結局、二人はどうなるの?」という疑問には、明確な答えは与えられない。それぞれが別々の人生を歩んでいく。ただそれだけだ。
でも、恋愛の持つ甘さと苦さ、人間の不器用さをリアルに感じたい人には、ぜひ読んでほしい一冊だ。この物語には、きれいごとではない、生々しい感情が詰まっている。初恋の美しさと、それを忘れられない苦しさ。前に進みたいのに進めないもどかしさ。そういった感情に、誰もが一度は直面したことがあるのではないだろうか。
小説版を読んで、アニメ版も観てみたいと思わせてくれる作品だった。映像と音楽で表現された時、この物語はどのような姿を見せるのだろう。そして実写映画では、どのように解釈されているのだろう。興味は尽きない。
『秒速5センチメートル』は、恋愛小説であると同時に、一人の人間の成長物語でもある。完璧ではない、むしろ不器用で報われない人生を送る主人公。でもそれは、私たち自身の姿でもあるのかもしれない。だからこそ、この物語は多くの人の心に残り続けるのだと思う。







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