『チェンソーマン』の小説版『バディ・ストーリーズ』を読了した。漫画では描かれることのなかった、各キャラクターのバディとしての関係性が掘り下げられた、ファンにとって宝物のような一冊だった。
書籍情報
タイトル:チェンソーマン バディ・ストーリーズ
原作:藤本タツキ
著者:菱川さかく
出版社:集英社
レーベル:JUMP j BOOKS
発売日:2021年11月4日
判型:新書判
定価:770円(税込)
ISBN:978-4-08-703518-6
あらすじ
『チェンソーマン』待望の初小説として登場した本作は、「バディ」をテーマにした三つの物語と、ボーナストラックとして江の島旅行の話を収録している。自称名探偵のパワーと助手にされたデンジが挑む怪事件、相棒だった頃の岸辺とクァンシの複雑な関係、そして姫野とアキの出会いと初任務が描かれる。藤本タツキ描き下ろしのカラーピンナップも収録された、漫画では読めない全編完全オリジナルストーリーだ。
岸辺とクァンシ――「九年ものの味わい」が示す複雑な絆
本作の中で特に印象的だったのは、岸辺とクァンシのバディ関係を描いた「九年ものの味わい」だ。公安でバディを組んでから間もなく九年という時間が経過した二人の、微妙な距離感と深い信頼関係が絶妙に表現されている。
岸辺がクァンシを誘っても、毎回すげなく断られる。それでも岸辺は誘い続ける。この関係性が、実に彼ららしい。漫画本編では断片的にしか見られなかった二人の過去が、小説という形で丁寧に描かれることで、彼らがなぜあのような関係になったのかが理解できる。
岸辺が部下のミナミを指導する姿は、経験豊富なデビルハンターとしての彼の一面を見せてくれる。一方でクァンシに対しては、どこか特別な感情を持ち続けている。そのクァンシは部下の女性デビルハンター、ミナミに好意を抱いており、この複雑な三角関係が物語に深みを与えている。
お互いに仕事仲間として持ちつ持たれつの関係でありながら、それぞれが異なる感情を抱いている。この微妙なバランスが、漫画とは別の形で――つまり内面描写を多用できる小説という媒体によって――より鮮明に描かれているのだ。
文字だけでも十分に楽しめる理由
『チェンソーマン』は視覚的な表現が非常に優れた漫画作品だ。それだけに、小説版で文字だけの情報でどこまで世界観を再現できるのか、読む前は少し不安だった。しかし、その心配は杞憂に終わった。
漫画を読んでいるファンにとって、この小説の文字情報は脳内での描写を容易にしてくれる。キャラクターの動き、表情、戦闘シーンなど、すでに漫画で見慣れた映像が頭の中で自然と再生される。菱川さかくの文章は、原作のキャラクター性を完璧に理解した上で書かれており、セリフ回しにも違和感がまったくない。
むしろ小説だからこそ表現できる心理描写が、キャラクターたちの内面をより深く理解させてくれる。漫画では描ききれなかった微妙な感情の揺れや、言葉にならない思いが、丁寧に文字として紡がれている。
デンジ、パワー、アキ――早川家の江の島旅行
ボーナストラックとして収録されている「夢の江の島」は、ファンサービスとして最高の出来だ。デンジ、パワー、アキ、そしてマキマという四人で江の島へ遊びに行くという、ファンなら誰もが見たかったであろうシーンが描かれている。
デンジのマキマさん大好きなところは健在で、パワーの相変わらず波瀾万丈な行動に振り回され、アキがしょうがなく二人を見守っている。そしてマキマが可愛くて可愛くて可愛い。この四人の関係性が、平和な日常の中でゆったりと展開される。
名物のソフトクリームを食べ、神社で願い事をし、浜辺で遊ぶ。ごく普通の幸せな旅行風景だ。しかしデンジには、何か大事なことを忘れているような違和感がある。この違和感の正体が、物語の後半で明らかになる展開は、原作を知っているファンほど胸に刺さるものがある。
この江の島編は、『チェンソーマン』という作品の本質を改めて感じさせてくれる。ささやかな幸せがいかに貴重で、そしていかに脆いものかを。
デビルハンターとしての仕事描写
小説版でも、デビルハンターとしての仕事はしっかりと描かれている。「名探偵パワー様と助手のデンジ」では、山奥の屋敷で起きる失踪事件を解決するために、デンジとパワーが民間のデビルハンターたちと共に調査を行う。
テレビで見た探偵アニメに影響を受けたパワーが「名探偵」を自称し、デンジを無理やり「助手」に任命する展開は、パワーのキャラクター性が存分に発揮されていて面白い。民間のデビルハンターたちは、一見ふざけているようにしか見えないデンジとパワーの行動に呆れる。
ところが、二人が公安のデビルハンターだと知った途端、民間の連中は態度を変える。「何か意味があるのでは?」と考えを改めるのだ。この場面が実に巧妙で、デンジとパワーという二人のキャラクター性が、良くも悪くも周りに影響を与える重要な存在であることを示している。
公安のデビルハンターという肩書きがもたらす威圧感と、実際の二人の破天荒な行動とのギャップ。このギャップが生み出すユーモアと緊張感が、物語を面白おかしく読ませてくれる。
姫野とアキの出会い
「バディになった日」では、姫野とアキが初めてバディを組んだ時の話が描かれる。家族への墓参りを終えたアキが、姫野との出会いを回想する形で物語は進む。
悪魔との戦いの中で何度も仲間を喪った姫野にとって、アキは六人目のバディだった。この事実が、姫野の背負っている重みを物語っている。初任務として、正体不明の悪魔による連続殺人が発生している団地に派遣される二人。
銃の悪魔への復讐に燃えるアキは、一見不真面目に見える姫野への苛立ちを隠せない。しかし、任務を通じて姫野の実力と、その裏にある深い悲しみを知っていく。この二人の関係性の始まりを知ることで、漫画本編での二人のやり取りがより深く理解できるようになる。
まとめ――ファンなら必読の一冊
『チェンソーマン バディ・ストーリーズ』は、漫画本編を補完する形で、キャラクターたちの絆をより深く掘り下げた作品だ。岸辺とクァンシの複雑な関係、デンジとパワーの破天荒な冒険、姫野とアキの出会い、そして早川家の江の島旅行。どの物語も、原作への深い理解と愛情を持って書かれている。
小説という媒体だからこそ表現できる心理描写が、キャラクターたちの内面をより鮮明に浮かび上がらせている。漫画を読んでいるファンなら、文字だけの情報でも十分に脳内で映像を再生でき、むしろ漫画では描かれなかった部分を知ることができる喜びがある。
『チェンソーマン』という作品が描く、ささやかな幸せの尊さと脆さ。それを改めて感じさせてくれる本作は、ファンにとってサイドストーリーとしてこの上なく遊び心のある作品となっている。藤本タツキの世界観を、別の角度から楽しめる貴重な一冊だ。
チェンソーマンファンには是非とも読んでもらいたい。この小説を読んだ後、もう一度漫画本編を読み返したくなるはずだ。






